代表からのメッセージ

代表 藤野からのメッセージ


はじめまして。横浜市西区、戸部&みなとみらい地区密着の個別指導塾、「スイング」塾長の藤野雄太と申します。

私には、「塾」というものを通じて子ども達に届けたいものがあります。決して大きな塾ではないけれど、絶対に曲げたくない熱い想いがあります。

しかし私自身がそのことに気付くまで、いくつもの紆余曲折と失敗を重ねてきました。

これは、私が為すべきこと、届けたいことに気付くまでを綴った小さな物語です。

塾の評判を下げてしまうかもしれない、本当は隠しておきたいような恥ずかしい過ちも、正直にしたためています。それでもあえて書いたのは、この「キーワード」こそ、私が、スイングという塾が、子どもたちのためにできることそのものだから。

キザな内容で少し照れくさい気持ちもありますが、想いを込めてお伝えしますので、どうか、お読みいただけると嬉しいです。


プロローグ

もう、先生の塾には行きたくない

藤野先生。先生もお気付きでしょうが、ウチの子は『もう先生の塾には行きたくない』と言っています。先生はどうお考えだったか分からないけれど、人間って、そういうものじゃないと思うんです。では、これまでありがとうございました……

そう言ってお母さんは軽く頭を下げ、教室を出て行った。生徒が一人、塾を去る。それも、私と私の塾に、とことん失望して。私はその後ろ姿を、呆然と見送ることしかできなかった。

それから一人になって、いろんな想いがぐるぐる、ぐるぐる頭を巡る。

何がいけなかったんだ……

『人間って、そういうものじゃない』

じゃあ、どういうものなんだ!

怒涛のように押し寄せる、激しい後悔。考えても考えても、なかなか答えが出ない。

しかし、そんなあらゆる痛みと自己嫌悪の先に、パンドラの箱から最後に出てきた希望があった。

それは、私の人生を一貫して衝き通してきたはずの、しかしどこに置き忘れていた、ある「キーワード」だ。

そしてそれこそ、私の「初心」。すべての原点。塾をやる理由。私は自分を叱り飛ばす。

いいかげんにしろ! おまえは何をするために塾を開いたんだ!なぜ、これを忘れていたんだ!

本当にやりたかったのは、子ども達に届けたかったのは、これじゃないか!

そう、私がやりたかったのは……!


第1章

エリート一族に生まれた劣等生

父は早稲田。祖父は京大。さらに辿れば、東大卒もいる。

そんな「エリート一族」の中にあって明らかな落ちこぼれ、それが私だった。

勉強が大の苦手で、通っていた高校もいわゆる偏差値35の「最底辺」。東京都の公立高校で学区内で最も偏差値が低いと言われた学校だ。

まるでマンガみたいな設定だが、逃れようがない現実。

常に比較されているような気がして、肩身の狭さを感じながら育ったせいか、ご多分にもれず「どうせオレなんて……」と完全にひねくれていた。

プライドは高いのに、一方で劣等感の塊。そのくせ努力はしない。本当にやっかいな子どもだったと思う。

でも、だからこそ分かることもある。

「できない」って言われる子が、何を辛いと思っているのか。そして、どうすれば「できる」ようになるのか。それは、今でもスイングの強い武器だ。

ただ、そのきっかけとなった原体験がある。

その日私は、祖父を相手にこう愚痴をこぼしていた。「はぁ……なんでボクだけ、こんなにできないんだろ」しかし、ふと祖父に目をやった時、いつもの「優しいおじいちゃん」とは様子が違うことに気付く。

明らかに、本気で怒っていたのだ。

「……いいか、雄太。『才能』なんて元からあるものじゃない! 引き出すものだ!!」

優しい祖父の「マジギレ」に驚いたこと、まだ子どもだったこともあって、当時の私にはピンと来なかったが、今では良く分かる。それが他でもない、私が思い出した「キーワード」の原点だったから。


第2章

ヤレバデキル

その後も、祖父の言葉の意味に気付くことがないまま漫然と過ごし、「最底辺」と揶揄される高校へと進んだ私。

ただ、なんとなく「大学へ行ってみたいなあ」くらいは思っていた。まあ、相変わらず思うだけで何の努力もせず、「どうせ自分は」なんて感覚だったが。

そんなある日のこと、事件が起こる。

「ウチの高校のビリとさ、お前の高校のトップを比べても、ウチのビリのほうがまだマシだよな!」

学区トップのエリート校に通う友達が、鼻で笑いながらそう言ったのだ。

今でも思い出すと胸の中がザワザワする。あの見下した目! 優越感に満ちたうすら笑い!たぶん、「屈辱」という言葉の意味を初めて実感したと思う。

「オレは、バカにされている!」「完全にナメられてるんだぞ! いいのか、このままで!?」

キレた。本当にキレた。バカにした友達にじゃない。負け犬根性が染みついていた自分にだ。

それから、生まれて初めて本気になって「勉強」というものに取り組んだ。正直、勉強のやり方すら知らない。だって、そもそもやったことがないんだから。それでも、見返したい一心で試行錯誤を繰り返しながら、とにかく猛烈にやった。

……それから1年弱。39.4しかなかった偏差値は、なんと70.9まで上がっていた。

これも、「キーワード」に繋がる大事な要素だ。月並みな言葉だけど、こうとしか言いようがない。

――「やればできる」。

自分が体験したことで、やっと分かった。

できないって言われる子は「できない」んじゃない。「やってない」か「できないと思い込んでいる」だけだ。本気になるきっかけさえあれば、誰もが変われるんだ!

じゃあ、そのきっかけになるものって何だ?

私にとってそれは「屈辱」が着火点ではあったが、それさえも内包する、もっとシンプルで、誰もが本気になれるきっかけがあるはずだ。そしてその「きっかけ」もまた、私とスイングの大切な「キーワード」となったのだ。


第3章

経営者になるはずが、一転、無職に

高校卒業。第一志望の早稲田大学こそ残念な結果に終わったが、その悔しさをバネに、進学した明治学院大学でさらに様々なチャレンジをする。

やがて、憧れだった業界屈指の外資系企業に入社、語学力を磨き、MBAも学んだ。

営業マンとして、14年連続赤字だった部署をわずか2年で黒字転換に成功。売上を600%上げて、世界に散らばる総員8,000名超の営業メンバーの中にあって、当時最年少の25才でトップ5%が選ばれるトップメンバー入りも果たす。

学ぶこと、自分を成長させることが楽しくて仕方ない毎日。ハーバード、ケンブリッジ卒の同僚たちと伍して活躍する中、いつの間にか、もう劣等感はなくなっていた。

……いや、それならまだ良かっただろう。針は、完全に逆方向へ振り切っていたのだ。

私は、慢心していた。

自分は常に正しいという歪んだ価値観、謙虚さのかけらもない不遜な態度。

実績があるのをいいことに上司にも悪態をつく始末で、「文句があるなら、いつ辞めてやってもいいんだぞ?」、本当にそんなことを口にしていた。最悪にイヤなヤツだった。

そんな社内での軋轢を見かねたイギリス人社長が、「部署ごとフジノに与えるから、経営者として独立開業してみてはどうか」と勧めてくれたのだが、天狗だった私は喜び勇んでそれに乗った。

しかし、私がこれまでにとってきた不誠実の積み重ねが、社内に多数の敵を作っていたことは想像に難くない。

独立すべく、正式に会社を辞めることになったとたん「梯子を外された」。

誰かが政治的に握りつぶしたのかもしれないし、今でも真相は分からない。ただ、ハッキリしていたのは、明日から経営者になるどころか、無職になるということだ。

「オレの人生、これからどうなるんだ……」

そんなことを考えながら、途方に暮れて家路についたことだけは覚えている。しかし、どうなるもこうなるもない。自業自得だ。

とりあえず同じ業界でビジネスを興してみたもののうまくいかず、宅配便のドライバーをしながら、土日はレストランでアルバイト。

そんな生活に陥るのに、さほど時間はかからなかった。


第4章

塾をやってみたら? 生徒は集めてあげるから!

「あら、藤野先生じゃない! いま、どうしてらっしゃるの!?」

偶然街で出会ったのは、外資企業に入る前に一時期働いていた大手学習塾で私が受け持った生徒のお母さんだった。

精神的にかなり参っていたのかもしれない。私は、困窮した自分の現状を打ち明けた。

すると、お母さんから返ってきたのはあまりにも予想外な言葉だった。

「先生の教え方、子どもへの接し方、すごく良かったと思うの! お仕事に困ってるんだったらさ、塾をやってみたらどう?」

塾? 私が塾を経営?

確かに、塾での仕事は楽しかった。子ども達が慕ってくれることが何より嬉しかったし、彼らの成績が上がって行くことにも強いやりがいを感じていた。

しかし、自分が塾を経営するなんて考えたこともないし、ノウハウもない。だいたい、どうやって生徒を集めればいいのかさえもサッパリだ。

すると、見透かしたようにお母さんはこう言った。

「大丈夫! 生徒は私たちが集めるから!」

なんと、ママ友に声をかけ、仲間を募ってくれたのだ。

ありがたい。本当にありがたい。そんな人の温かさに触れ、ヤル気が出なければウソだろう。

私も退路を断って決意を固め、お母さんたちに頭を下げ、「理想の塾」について、素人丸出しで素直に教えを請うた。

なんせ、最初に聞いたのは「月謝はいくら位にしたらいいんですかね?」だったほどだ。

さらにお母さんたちは、いま通っている塾に対する不満を次々と口にする。

ほんと教材費だ、なんとか講習費だって、後から後からお金のことばっかり!どうも営業くさくて、信用できないのよね!本当に子どものことを思ってくれてるのかしら!

塾に勤めていた者としては、耳が痛い言葉の数々。だが一方で、「よし、そうではない塾を作るぞ!」 と新たな希望も湧き始めていた。


第5章

噴き出した不満

最終的に集まったのは、3人のお母さんとその子ども達である生徒。決して多くないかもしれないが、そんなことは関係ない。とにかく、嬉しかったのだ。

塾名は、大好きなジャズにちなんで、「最高にカッコいいね!ノッてるね!」といったニュアンスの意味を持つ言葉、「スイング」と名付けた。そんな楽しい塾にしたいと思ったからだ。

想いが通じたのか、生徒はみるみる増え、スタッフも雇えるように。何もかもが順調に思えたが、ここで私は取り返しのつかない過ちを犯してしまう。

もちろん悪意はなかった。しかし今思えば、それは絶対にやってはいけないことだった。

生徒の数が増え始めたころから、忙しさに気を奪われて子ども達一人ひとりと向き合うことを忘れ、合理性を求めて、こともあろうか子どもたちを「管理」しようとし始めていたのだ。

その子がどんな性格で、いま何を思っているのか。何を求めて、どうなりたくてスイングに来てくれているのか。趣味は? 好きな食べ物は? 将来の夢は?

そんなことさえ知ろうとしないまま、指導テクニックだけで勉強を詰め込み、もっともらしい理屈や建前で子ども達と接する日々。

そのくせ叱責だけはやたらと厳しく、すべてが命令でしかない。ああしろ、こうしろ! あれはやるな、これはダメ! なぜ言うとおりにしないんだ!

しかも自分ではそれが生徒のためと思っているから、余計にタチが悪い。基本的信頼関係がない中での叱咤は、何も生み出しはしないのに……

やがて生徒たちの目に明らかな「敵意」が宿り始めたことにも、私は気付けないでいた。

ついにそれは、最悪の形で噴出することとなる。


第6章

理念

藤野先生。先生もお気付きでしょうが、ウチの子は『もう先生の塾には行きたくない』と言っています。先生はどうお考えだったか分からないけれど、人間って、そういうものじゃないと思うんです。では、これまでありがとうございました……

そう言ってきたのは、他でもない、一緒にスイングを創り上げてくれた3人のお母さんのうちの一人だった。

こともあろうか、最初に私を信じ、応援してきてくれたお母さんと生徒に、そんなことを言わせてしまったのだ。

頭が真っ白になる。何も考えられず、何がいけなかったのかさえ分からない。それから私は、長い長い悩みの螺旋にはまり、抜け出せなくなった。

もちろんそれからも、塾という仕事自体は真摯に取り組んでいたし、優秀な講師たちのおかげでどうにか生徒の心は繋ぎ止められていたが、私自身はどこかに迷いを抱えながら、自問自答を繰り返す毎日。

やがて、感情さえも枯れたかと思うほど全てを出し尽くしたころ、それはようやく「降りてきた」。

違う……あれでは、「成績UP」という商品を淡々と売るだけの、血の通わないビジネスじゃないか。

私がやっていたのは単なる「指示」だ! 指示で人が育ったり、心が動いたりするわけがない!

経営やマネジメントにばかり気を取られて、塾や教育に対する私の「理念」がどこにもないじゃないか!

「理念」や「想い」のない塾に、誰がお金を払って大事な我が子を通わせたいと思うものか! ましてや、子ども達が「塾が楽しい」と思えるはずがないだろう!

塾や生徒に対して手を抜いたつもりはない。

でも、私が本当に力を入れるべきところ、私だからできること、届けられることはもっと他にあったはずなんだ。

私の理念って何だ。塾を通じて、私は何をやりたかったんだ。

そのとき、いままで人生のバラバラなところに断片的に置き去りにされてきた「理念」のパーツが、まるで稲妻が走るように一気に線で繋がるのを感じた。

経験者なら分かるだろう? 「自分はダメだ」と思っている子は、何を求めてるんだ。

祖父は何と言った?「人の才能は、引き出すものだ」と教えてくれたはずだ。

ダメだと思い込んでいた自分が、なぜ勉強を頑張れた? 悔しさが心に火をつけたからだ。

お母さんたちは、なぜ私に「塾をやれ」と言ってくれた? 子ども達への接し方だ。

「人間って、そういうものじゃない」? 今ならそれも分かるはずだ。

塾を始めたときに何を思った? 子どもたちをどうしてあげたいと思った? それが答えだ。

雑念が何一つない澄んだ脳裏に、どこまでも自然に、スーッとその言葉が浮かび上がる。

――E・n・c・o・u・r・a・g・e

エンカレッジ。

「励ます」「元気づける」「勇気・自信・希望を与える」

そう。それこそ、私が子ども達に届けたいもの。スイングの塾としての存在意義。忘れていた「キーワード」であり、理念であり、本当にやりたいことだったのだ。

指示や管理じゃない。励まし、勇気づけ、「自分はできる!」と気付かせてあげたい。劣等感の塊だった私にもできたんだから、できないはずがないんだ。どんな子も全員救いたいし、必ず救える。誰しもここに来れば、人生が変わる。そんな塾を創りたい!

もう、迷いはなかった。


エピローグ

Encourage

私ごとで恐縮ですが、昨年、私は結婚しました。

するとどこで聞きつけたのか、ある卒塾生が「先生、結婚するんだって!? お祝いするからさ、飲みに行こうよ!」と、誘い出してくれたのです。

居酒屋で昔話に花を咲かせつつ、かつての彼を思い出します。

思えば彼は、決して勉強が得意な子ではありませんでした。むしろ「問題児」と言われるタイプだったかもしれません。

しかし、そんな彼が「先生に感謝している」と添えて伝えてくれたひとことは、確かに私の「Encourage」が届いていた証でした。

「先生は、オレのことを決して見捨てなかったよね」

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