こんにちは、藤野雄太です。
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今年は太平洋戦争から80年ということで、日米両国で式典などが開かれています。
岡山県笹岡市の川上秀一さん(103)は、旧日本海軍の空母「瑞鶴」の航空整備兵として、真珠湾攻撃に参加しました。
以下、本日神奈川新聞からの引用です。
【2021/12/9 神奈川新聞】
80年前の真珠湾攻撃に参加した。
当時は高揚感があったがその後、失われたものは多かったとし、「戦争だけは絶対にしてはいけない」と目を潤ませて繰り返し訴えた。
川上さんは同県の農家に生まれ、1936年に海軍に志願した。
瑞鶴に搭乗して41年11月下旬、日本軍艦船がひそかに集結した択捉島に到着。
上官から「ハワイに向かう」と告げられた。
しけの中で軍用機を艦上に固定し、整備を進めた。
トイレで隣に立ち、「日本は勝てるのでしょうか」と尋ねてきた若い兵士に、「大丈夫」と背中を叩いて励ました。
現地時間の41年12月7日、ハワイ沖から真珠湾に向けて次々と飛び立つ軍用機を艦上で見送った。
奇襲攻撃は成功し、当時は「とてもうれしく誇らしかった」という。
瑞鶴で計約20回の戦闘に参加。
「いつも死を覚悟していた」と振り返る。
最後は44年10月のフィリピン中部レイテ島沖の海戦で、瑞鶴はおとり役となり魚雷を受けて撃沈。
川上さんは海に飛び込み、約4時間漂流した後、味方に救助された。
今も戦時中の記憶ははっきりしている。
特につらかったのは整備した軍用機が出撃後、旗艦しなかった時だ。
「食事も喉を通らなかった」。思い出すと涙があふれる。
真珠湾攻撃を直接知る人は少なくなっている。
川上さんは「日本はどの国とも仲良くし、戦争を絶対にしてはいけない。来年も再来年もそう訴えたい」
と力強い声で語った。
【探究トレーニング】
川上さんの記事を読み、あなたが感じたことを書いてみましょう。
【語句の意味】
★高揚(こうよう):気持ちが高まること
★空母(くうぼ): 船の甲板(かんぱん)から飛行機を発着させることができる軍艦
★整備(せいび):すぐ使えるように準備を整えておくこと
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